セブ市

実はマゼランは世界一周をしていません。彼はセブ島をキリスト教に改宗させた後に、マクタン島をも改宗させようとしてムスリムのラプラプ王によって殺されています。その後、マゼランを失った艦隊はスペインに戻り、世界を一周した業績が残ったのです。そして現在はマクタン島にマゼランの布教をたたえる記念碑とラプ=ラプの戦いをたたえた記念碑が隣同士に建っているのです。

1521年4月7日、フェルディナンド・マゼランは南アメリカ大陸を回ってセブ島に上陸しました。その後、セブの王と懇意になってそのままマクタン島へ行き、ラプ=ラプ王に敗れたのです。1565年4月27日、征服者(コンキスタドール)ミゲル・ロペス・デ・レガスピがスペインから送られセブを征服し、6年後にマニラが征服されるまで植民地の首都となったのが、このセブ市です。メトロ・マニラやメトロ・セブを単一の都市と見なせば国内第2位の大都市で、セブ市がメトロ・セブの中心になっています。

セブの言語はセブアノ語ですが、タガログ語も通じるようです。歴史がマニラよりも古く、サンカルロス大学、フィリピン大学セブ校、サンノゼ=レコレトス大学、セブ大学、マニラ以外では初の医学部を設置したサウスウェスタン大学、セブ師範大学などの名門校が多く、ミンダナオ島などから多くの学生がセブ市に進学しています。また、セブ市はスペインの植民地になる以前から港町であり、イスラム教が伝わるとともに、今でもビサヤ諸島やミンダナオ島を巡る航路の80%以上の拠点となっています。

サン・ペドロ要塞はフィリピン最古かつ最小の三角形の稜堡式要塞で、マゼランの死後、スペインから派遣されたコンキスタドール(征服者)ミゲル・ロペス・デ・レガスピにより建築されました。当初はムスリム勢力の攻撃に備えた要塞ですが、19世紀後半には、フィリピン人の反乱に対するスペイン人の拠点になりました。


マクタン島、オスメーニャ橋、セブ港の様子はこちらをご覧ください。

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