日本軍とマレーシア

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1941年12月8日、日本軍はアメリカの真珠湾攻撃の1時間前にマレー半島に上陸。1942年2月にはシンガポールを占領し6月にはマレーシアは日本軍の占領統治下に置かれます。この日本軍の目的はインドネシアで産出されていた石油資源の確保にあり、インドネシアと共にマラッカ海峡を支配していたマレーシアは強力に「日本化」が進められました。特に当時の日本の憲兵隊による様々な政治的強制や拷問は今日までマレーシア国内で語り継がれています。また、日本軍はマレーシア経済を一方的に統制したため、マレーシア国内の食料と生活物資の不足を招き、その結果多くの人々が犠牲になりました。

まず日本軍はタイ政府がイギリスとアメリカに対して宣戦布告を行った見返りにマレーシアの北部4州をタイに与えます。1931年から続いている日中戦争を口実に抗日運動を繰り返すマレーシアの中国人に対しては強硬に対応し、結果、数万人を虐殺した挙げ句、中国人の資産から500万ドルを献納させています。その一方でマレー人とインド人は優遇し、イギリス軍に捕えられていたマレー人政治犯を解放し、彼らに義勇軍を組織させるなどしてマレー人民族主義を鼓舞しました。結果的にイギリスが民族を分断して統治を行った政策を逆に利用したものと考えられています。
その他、タイとビルマを繋ぐ鉄道の建設に着工し、その労働力として連合軍捕虜6万人とマレーシアの国内から8万人を連行しこの半数以上が重労働と栄養不足により死んでいます。また、インド人に対してはインド国民軍を組織させて1944年のビルマ(現ミャンマー)のインパール作戦に参加させました。このように日本軍はイギリス以上の過酷な弾圧と搾取を行ったため、戦争の末期にはマレー共産党を筆頭に中国人が組織したマラヤ人民抗日軍には優遇されていたマレー人たちも参加するようになります。

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