マクタン島、他

マクタン島 マゼラン艦隊を率いたマゼランが戦いに敗れた島です。そしてそのマゼランを討ち取ったムスリムのラプ=ラプにちなみこの島の最大の都市はラプ=ラプ市と名付けられました。マクタン島にはキリスト教布教と世界一周途上での殉

セブ市

実はマゼランは世界一周をしていません。彼はセブ島をキリスト教に改宗させた後に、マクタン島をも改宗させようとしてムスリムのラプラプ王によって殺されています。その後、マゼランを失った艦隊はスペインに戻り、世界を一周した業績が

チャイントンの民族

チャイントンは元々、ワ族が住んでいて現在はシャン族が多いのですが、周辺にはアカ族、ラフ族、リショー族、パラウン族などが居住しています。私自身は民族を見るために観光するつもりはなかったのですが、それでもいくつかの民族を目に

チャイントン

チャイントンはミャンマーのシャン州の都市です。タイ国境のタチレクから160キロ、そのまま国道を進めば中国の国境にあるモンラーに行きます。 チャイントンの歴史は長く13世紀にタイのチェンライを拠点としたランナー王国マンラー

タチレク近郊の村

タチレクはタイの携帯電話が使えるなど観光都市と言えますが、少し街から離れるとミャンマーの人々の素朴な暮らしが見られます。この村はタチレクから乗り合いバスで15分ぐらいの場所です。

タチレク

タイとミャンマーの国境がサーイ川になっています。タチレクはタイのメーサイの向かいにあるミャンマーの都市です。ここからミャンマーに入国するためにはミャンマーのビザは必要ありませんので、多くのタイ人と外国人が訪れます。 黄金

メーサーイ

メーサーイはミャンマーのタチレクとを結ぶ国境の街でタイの最北端と言われています。また、タイの国道1号線の終着点です。国境線の川をサーイ川と呼び、それがこの街の名前になっています。街自体は小さいと言えるでしょう。 常にタイ

パッターニー

タイの南部は2世紀から14世紀までヒンドゥー教のランカスタ王国があり、13世紀にランカスタ王国がインドネシアのスマトラ島へ遷都したためにパッタニーにマレー人のイスラム王国であるパタニ王国が誕生しました。パタニ王国はタイの

ハートヤイ駅、他

ハートヤイ駅 駅の塗装が現在は変わっているようです。1924年に開業。バンコク方面への長距離直通列車やマレー鉄道への直通列車など、1日28本の列車が発着しています。 ワット・ハート・ヤイ・ナイ ハートヤイで最も規模が大き

ハートヤイ市街

マレーシアからマレー鉄道に乗ると最初に止まる駅がハートヤイ駅です。日本人はハジャイと呼ぶ方が多いようです。ハートヤイはタイ南部の中心的な都市ですが、タイでテーサバーンナコーンと呼ばれる特別な自治権を持っています。しかし県

マーライオン、他

マーライオン 「マー」はフランス語で「海」。海の街という名の都市がシンガポール近郊にかつてあったらしい。またライオンは11世紀のマレーシア王族が荒れ狂う海に王冠を投げると、ライオンが現れて王族が大地をおさめることを許し、

シンガポール

住民は2世紀頃から定住が見られたが、1819年に港市国家のジョホール王国からイギリスの東インド会社にいたトーマス・ラッフルズがシンガポールを譲り受けました。以降、イギリスはここを拠点として1826年にマレーシアのペナン、

KLセントラル駅、他

KLセントラル駅 クアラルンプール国際空港と同様に日本の黒川紀章が設計したそうです。当駅のオープンに伴い、これまで交通の中心となっていたクアラルンプール駅はその役割を終わった様子。私は気が付かなかったのですが、よく見ると

クアラルンプール

1857年中国人の移民者たちのスズの採掘拠点がクララルンプールです。ジャメ・モスクがある川の合流地点を「泥(lumpur)が合流する場所(kuala)」と呼んでいたそうです。 1873年頃からイギリスの支配下になり189

ヴィクトリア港・他

ヴィクトリア港は、イギリスのヴィクトリア女王(1837年 – 1901年)にちなんで1843年に名付けられたようです。マカオと香港の大きな違いはマカオが浅瀬で大型船が入港が難しかったために香港が貿易を牛耳った

香港

中国とイギリスが戦ったアヘン戦争の後の1842年に香港島はイギリスの植民地になり、1880年に九龍半島が割譲され、1898年にはその後方にあった新界がイギリスの統治下となります。ですから香港は、香港島と九龍半島、新界から