チャイントンの民族

チャイントンは元々、ワ族が住んでいて現在はシャン族が多いのですが、周辺にはアカ族、ラフ族、リショー族、パラウン族などが居住しています。私自身は民族を見るために観光するつもりはなかったのですが、それでもいくつかの民族を目に

チャイントン

チャイントンはミャンマーのシャン州の都市です。タイ国境のタチレクから160キロ、そのまま国道を進めば中国の国境にあるモンラーに行きます。 チャイントンの歴史は長く13世紀にタイのチェンライを拠点としたランナー王国マンラー

タチレク近郊の村

タチレクはタイの携帯電話が使えるなど観光都市と言えますが、少し街から離れるとミャンマーの人々の素朴な暮らしが見られます。この村はタチレクから乗り合いバスで15分ぐらいの場所です。

タチレク

タイとミャンマーの国境がサーイ川になっています。タチレクはタイのメーサイの向かいにあるミャンマーの都市です。ここからミャンマーに入国するためにはミャンマーのビザは必要ありませんので、多くのタイ人と外国人が訪れます。 黄金

第2次大戦と日本

1939年9月にドイツがポーランドに侵攻したことでイギリスとフランスはドイツに宣戦布告し、第2次世界大戦勃発します。ビルマではこれを受けて植民地主義に反対する自由プロックが組織され、議長に前首相のバ・モオ、書記長にアウン

西洋とコンバウン朝

こうした中で1754年にシュエボー(現コンバウン)、ミョウの領主出身でアヴァに攻め込んだアラウンパヤーが中央平原を支配します。1756年にはフランスが駐留しているシリアムを占領しますがアユタヤへ遠征途中で亡くなります。こ

第2次タウングー朝

しかしバインナウン王の子ニャウンヤンは1597年アヴァ(現マンダレー管区)を拠点に、再びメイッティーラー、ヤメーディン、シャン地方を得て、その後のアナウペッ・ルン王がピェー、タウングー、シリアム、マルタバン、イエー、チェ

タウングー朝の隆盛

1300年に入ると中国の元がビルマに侵攻し、パガン王国も元との戦いに次第に衰退し、1364年新たに興ったインワ朝はアヴァに遷都します。また下ビルマにあったハンターワディー朝はタイのアユタヤ朝が北と東から勢力を拡大したこと

パガン王朝の幕開け

1044年にビルマ族のアルニッダ王が下ビルマを平定しパガン朝を興します。1165年にスリランカの侵略を受けますが、その後、使節をスリランカに派遣し、多数のスリランカ僧がミャンマーを訪れます。この頃の碑文には古モン語、パー

ビルマ先史時代

現在、ミャンマーにあるイラワジ川、シッタウン川、サルウィン川流域には、古く紀元前3万年頃から人が住み着き、紀元前2,000年頃に既に水稲農耕社会があったと考えられています。中国の「後漢書」にはこの地域に1世紀末から2世紀