ネィ・ウィン体制

sdim1610-x1945年10月戦時中インドのシムラに避難していたイギリス政府が再び帰って来ます。イギリス政府は以前にも1939年までにビルマに自治権を承認する内閣の声明を発表していましたが、戦後、その権力を委譲する相手がビルマ政府(GCBA)からタキン党ナショナリストに変わります。イギリスは戦後インドの独立運動に手を焼き、ビルマ国内でイギリスの経済的利権を長期的なものにするという打算から、パサパラの中でも穏健派と知られる国軍のアウン・サンに委ね、1947年1月にアウン・サン=アトリー協定が結ばれます。1947年2月のパイロン会議にて連邦国家設立のための少数民族の代表と話し合いが行われ、4月の制憲議会選挙でパサパラが圧勝し、これを踏まえてイギリスはビルマを共和制国家として承認します。その矢先の1947年7月19日に国家元首となったアウン・サンはウー・ソオの部下によって射殺されました。
1948年1月4日、アウン・サンを引き継いだウー・ヌがビルマ連邦の初代首相となりビルマは独立します。当初パサパラは議会制民主主義に則りながら、徐々に経済を資本主義から社会主義に移行させるという漸進的社会主義を掲げます。さらにシャン族、カレンニー族、カチン族に対して州政府の地位と自治権の一部を認め、10年後にはビルマから分離できる権利を憲法で保障しました。ところが三ヶ月経たないうちに革命を唱えてビルマ共産党が武装蜂起します。1949年にはカレン民族同盟(KNU)が独立を求めて武装蜂起したため、1951年にはカレン民族にも州を与える約束をします。この間ビルマ国軍から共産党とカレン民族同盟に合流する者が相次ぎ、ビルマ国軍は急速に弱体化しました。

この事態を受けて国軍の最高司令官であったネィ・ウィンは、ビルマ民族を中心に据えて国軍の建て直しを図り、1950年代後半に反政府武装勢力を地方に封じ込め、ラングーン(ヤンゴン)を中心とする国家体制を強化しました。一方、政治の舞台では与党のパサパラの議員たちが私兵団を持ちミニ財閥と化し、これに反発した者たちは左翼政党を結成し議席を獲得します。1958年4月にビルマ経済が頓挫したことを受けて与党パサパラは二つに分裂してしまい、この混乱を収拾するためにウー・ヌ首相は国軍大将ネィ・ウィンに治安維持を目的とした選挙管理内閣を組閣させて議会で承認します。まず、ネィ・ウィンは憲法で認められていたシャン州、カレンニー州、カチン州の藩王を制度ごと廃止し、各地の私兵団を取り締まり、共産党学生を一斉に投獄しました。この後、一旦は治安が回復し、1960年2月の総選挙に伴いネィ・ウィンは政権を退き、ウー・ヌが復活します。復活したウー・ヌは、まず、上座仏教を国教に指定したことで他の宗教者らの反発を招き、経済政策を外貨獲得を目的とした資本主義経済に転換したことで国内の政治は行き詰まりました。
ここに至ってついにネィ・ウィンがクーデターを決行し、ウー・ヌ政権の政治家全員を逮捕、議会を解散させた後に憲法を廃止しました。次いで軍人だけの革命評議会を結成し、ネィ・ウィン自身が議長となり、これに反発したラングーン大学学生同盟に弾圧を加えます。1962年7月にビルマ社会主義計画党(BSPP)を結成し、党議長にネィ・ウィン自らが就任しBSPPによる一党独裁体制が確立します。このビルマ式社会主義と呼ばれる体制は、共産主義へ移行することのない最終的にして理想的な政治体制と規定し、実際には反共産主義の社会主義でありビルマ人のための国家建設を目指します。「国有化」は共産圏のプロレタリアート(人民)による国の所有を意味せず、当時ビルマにいたイギリス人、インド人、中国人など外国人資産家の追放を意味しました。また、文化・教育面でもビルマ語教育に比重が置かれ、少数民族の自治権剥奪からやがて武力による制圧へと変わります。また、従来の積極的な中立を心がけていた国際関係は次第に鎖国体制へと転じました。結果的にこの体制が国内にもたらしたものは軍人たちが天下りする非効率的な社会とそれが招いた経済の不振、タイなどからの密輸がもたらす裏社会の繁栄でした。

1974年にBSPPは社会主義憲法を制定し、BSPPの一党支配体制が制度に変わります。この時ネィ・ウィンは大統領に就任しますが、1981年にはサン・ユに大統領を譲り、自らはBSPP議長に留まりました。一方ミャンマー国内は国営企業労働者のストライキと学生による反政府活動が活発になり、この事態を打開するためにネィ・ウィンは積極的に海外のODA(政府開発援助)を利用します。しかし、やがて債務の返済に行き詰まるようになり、1986年にビルマは国連に最貧国待遇を申請し、国民に予告することなく高額紙幣を廃止しました。1988年に貨幣が使用できなくなったことに怒った国民が大規模な運動に発展し、この7月にネィ・ウィンはBSPP議長を引退しました。

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